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福盛田 克彦さん 岩手県野田村 Japan

D62D3171海蔵院の住職.jpg


野田村海蔵院の第16世住職
和尚名 福盛田こくげんさん
海蔵院は禅宗の一派である曹洞宗のお寺で
12世紀、開基は平重盛、開山は珊光国師と伝えられ
臨済宗小松寺が前身です。
野田地方では平家の落武者伝説があり、
平重盛の末裔が宇部、大沢氏や南北朝、戦国期には小田、大崎氏などが
平家一族という。
05.May.2007


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3 Responses to 福盛田 克彦さん 岩手県野田村 Japan

  1. 吉田一芳 より:

    正にその通りです。文治二年平重盛公の妾腹上総太郎(海辺右馬頭平助盛)を当地初代として現在まで三十七代を数える平家の血をひくのが宇部氏であり、弟讃岐次郎を祖とする大澤氏は一門です。かく言う私も三十二代宇部寛平の弟仙平(伊豆押領使工藤大和守家相続)から数えて六代となるれっきとした宇部氏一門であり、十五代清政公(野田上総介平太左衛門)が南部氏と君臣の約を交わして以来の500年余りの関係で現在も南部家御用を勤めています。ちなみに大崎氏は豊臣秀吉の小田原攻めに参陣せず攻められた際に宇部氏廿一代盛永(平内左衛門)の時宇部を頼り来て以来のものです。

  2. 吉田一芳 より:

    PS:落ち武者?
    私は落ち武者とは考えておりません。何故かと申しますと、宇部(海辺)家が当地へ土着する過程のことですが、父重盛公よりのお言いつけにて五台山の一つ霊隠寺へ位牌を納め珊光國師を日ノ本の国へお連れする段階で当家ご先祖様は戦をしておりません。たまたま帰着したおりに源平の戦い済んで上陸の場所を探していたおりに海上難風に遭い当地へ上陸したという事です。また、真言宗泉涌寺派大本山法楽寺縁起にも殆ど同様の言い伝えがあるとされていますが、伝承を確定するものが無く海蔵院に残る治承三年の年号記載(岩手県一古い)の石碑に対し一年早い治承二年とされている所から、おそらく後年の開基であろうと推察されます。珊光國師は多くのお寺を開山しております。南部町聖寿寺舘にある三光寺もその一つです。

  3. 吉田一芳 より:

    5月2日3日の両日、全国平家会会員として下関赤間神宮の御陵前祭そして平家一門追悼祭に参列して参りました。実に43年ぶりの訪問です。全国と申しましても九州、四国、新潟そして関東では栃木からの出席が多く岩手からは私と家内だけの参列です。宇部氏37代本家に代り一門の代表として御先祖御一門の御霊安らかなれと祈って参りました。長崎五島列島、宮崎椎木村、栃木湯西川その他各地の平家縁の方々が外に向かって多くを発信しようとしております。
    御住職様にもご尊顔拝し色々お話などお伺に御邪魔申し上げたいと存じております。平家直系の子孫が残っているという事は誇るべき事であり村おこし町おこしにも御先祖様のお力をお借りしても良いのではと存じます。

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